ヒトが介在しすぎるスポーツ
スポーツの競技以上に運営に関わる「ヒト」団体についての話題が全く途切れない。
昨日貴乃花の年寄「引退」宣言でまたまた相撲界はヒートアップ。相撲という競技は嫌いではない。ルールもシンプルで勝敗決着も明快だ。かなり昔から(今の業界の動きの鈍さからすると驚異的だが)ビデオ判定が採用されている点も評価できる。
しかし、小さい頃からとても疑問だったのは、部屋(チーム)という存在で、個人競技の最たるものにも関わらず所属するチームによって有利不利が存在するということだ。組み合わせの運不運とは次元が違うのだ。
以前からの騒動も結局のところこの部屋に代表される旧い体質に根ざしたものだ。とても歴史のある(若干の皮肉を籠めて)ものだから部屋を含む組織体をいきなり解体再編するのは難しいだろう。でも、原則個人総当たり形式にするのに何か弊害があるだろうか。所属するチームが同じでも対戦する個人競技って山ほどあるではないか。
風穴を開けていくってそういうことではないかと思う。
採点競技やらボールストライクを相変わらず審判の目だけで判定させている野球とかについてはまた別な機会に。